川越城の秘密
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Vol.47

東日本で唯一現存している、川越城本丸御殿。
戦国時代、江戸時代と軍事、政治ともに
要でもあった川越城の秘密に迫ります。

表紙:川越城本丸御殿 / 写真:中村香奈子 中里楓 / 編集:櫻井理恵 / デザイン:吉野博之 / イラスト:上坂じゅりこ

川越城の秘密

発行:2025年02月

歴史深い川越ならでは!
身近に感じる江戸の面影

 一四五七年、扇谷上杉氏によって築城された川越城。一五四六年には北条家の支配が確立、その後徳川家康の領地となり、江戸時代には北の守りとして川越藩は重要な役割を果たしました。現在も名残を残す川越城の縄張りは太田道灌親子によって築城されたもので、後の藩主松平信綱により本格的に拡張・整備が行われました。現存する本丸御殿は一八四八年に藩主であった松平斉典が竣工したものです。

 初雁公園とともに市民に親しまれてきた本丸御殿は昭和初期に「武徳殿」として使用され、また戦後には中学生たちの体育館として使用されていたことも! 天井には今もバレーボールの跡が残っています。

川越の基礎を作った川越藩主

松平信綱

知恵伊豆と呼ばれ、幕府中枢でも要職を務めた松平信綱。1639年に川越藩主となり、川越城の拡張・整備を行いました。また舟運の整備や十ヵ町市門前郷分の町割、川越氷川神社へ祭礼用具を寄進。これがのちに川越祭りの元となる氷川祭礼の始まりです。

柳沢吉保

1694年から1704年まで川越藩主を務めた柳沢吉保は、当時原野のままで用水を得るのが難しかった武蔵野の台地を開拓し、三富地方の新田開発を行いました。現在でも吉保が作った地割の跡が見られ、循環型農業が行われています。

川越城七不思議

1.城中蹄の音

堀川夜討の大戦を描いた屏風から、夜な夜な城中に響く蹄の音! 城主の酒井忠重が養寿院に寄進したことでおさまったという。

2.天神洗足の井水

川越城築城の際に水源を探していた太田道灌らが、老人の導きで水源地を発見。その老人こそ、三芳野天神様の化身だった。

3.霧吹きの井戸

戦になれば、井戸から霧が出て、川越城の姿を敵から隠す——、川越城は別名「霧隠城」とも呼ばれた。

4.片葉の葦

川越城に住んでいたお姫様が逃げ延びる最中に七ツ釜の沼地に落ち、葦の葉を掴んだまま悲しい最後を遂げる。

5.人見御供

龍神様のお告げで川越城築城成功のため、自分の娘を人身御供に差し出した太田道真の悲しい話。

6.初雁の杉

川越城内の三芳野神社裏の大きな杉には毎年雁がやってくる——川越城が初雁城と呼ばれる所以。

7.遊女川の小石供養

姑にいじめられて小川に身を投げたおよねと夫。供養のため小石を投げると無数の泡が浮くことからよね川と呼ばれ、いつからかよな川となったそう。

もっと! 川越城の遺構を巡る

今もその姿をしのぶことができるスポットをご案内します。
協力:川越市立博物館/川越商工会議所

富士見櫓

川越城の天守閣の代わりとなっていた富士見櫓の跡地。高さは10メートル以上あったと言われています。

川越市郭町2

中之門堀

侵入者が乗り越えられない工夫をされた堀。一六二四年に松平信綱が城の大改修を行った際に造られたものと言われています。

川越市郭町1-8-6

大手門跡

現在の川越市役所のある場所は、川越城大手門があった場所。太田道灌の銅像も見ることができます。

川越市元町1-3-1

三芳野神社

川越城の天神様として一六二五年に再建されたと言われています。童謡「とおりゃんせ」の舞台の地とも言われています。

川越市郭町2-25-11

(「元禄七年川越図」川越市立中央図書館蔵)
柳沢侯時代の元禄七年川越図(写し)からは、当時の川越城の様子やまちに住む人々、また今も多く残る神社仏閣が描かれています。

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